締め切りを決めてなんとかする

休日にPhotoshopに1日かじりついて、同僚の誕生日パーティーを盛り上げるためのイベントフライヤーをなぜか作っていた。

そもそもそんなに勤勉な人間ではないので、休日に生産活動みたいなことは普段は全くやらずにゴロゴロ過ごしてしまうんだけど、今回は明確な締め切りがあってこの日にないと困る*1、というのが明確にあったのでやらざる得ない状態だった。そして改めて締め切りがあれば大抵のことはなんとかできるな、というのを改めて思った。

怠惰な自分を動かすためには対外的に決められた締め切りが必要

tymikii.hatenablog.com
そういえばこの時も明確に締め切りがあってなんとかしなくてはいけない、ということになってなんとかしたんだよなあと思い出した。とにかくこの日この時間の40分を埋めるためになんとかしなくてはいけない、という感じだったので本当に必死になって勉強した。関係者10人ぐらいに明確に迷惑がかかる、というのと、下手なもの出すと視聴者ががっかりするだろう、というのがモチベーションだったように思う。こう考えてみると、成果を生むために自分のモチベーションはそれほど大切ではない、ということがわかる。

締め切りは色々な人間が関わっている必要がある

だったらたくさん締め切りを作って成果を上げていけばいいじゃん、と思うのだけど、実はこれはうまくいかない。適当に作った締め切りは私とその締め切りを作った相手と、という感じで影響する人間が少なくて怠惰な私は容易に破ってしまう。何人も人間が関わっていて、達成できないとみんなの前で恥をかく、迷惑をかけて信頼が下がる、というのが確約されている必要がある。

ダサいものを出したくない、という間柄である必要

そもそもそんなに信頼関係がなかったりする人と結んだ締め切り、というのもうまくいかなくてまあ別にどうでもいいやと思って達成できなかったりする。信頼関係がある程度あって、ダサいものをこの人たちの前で出したくない、という気持ちがないと精一杯頑張る、ということはできない。ものを作るのは基本的に追い詰められるターンが必ずあるので(私の場合)それに打ち勝てるぐらいのダサいものを出すわけにはいかない、というプレッシャーが必要。

自分のモチベーションを信じない感覚

とにかく人を巻き込んで成果物を出さないと死ぬ、というところに追い込んでなんとかする、というのが怠惰な自分に向いているやり方なんだなと思った。趣味で成果を出すにあたっては自分のモチベーションドリブンにしがちなんだけど、それだとやっぱりモノづくりの辛さとかを乗り越えることはできなくて、そこで力になるのは人との約束なんだと思った。

*1:月曜日が誕生日パーティーなので月曜日にないと全く意味がない