夫の転勤先の工場へドライブしに行った。車を1時間半くらい走らせると見渡す限り工場と倉庫が連なってる景色で、煙突からもくもくと煙が立ち上っていた。

工場というのは操作をミスれば爆発が起きたり手がなくなったりする、とのことでクリック一つで大体何もかも戻せる私たちの仕事とは大違いなんだなと思った。クリックやコマンド1つで大抵のものは戻せるので失敗することもそれほど怖くないと思っているけど、失敗したら体の一部がなくなるかもしれない、工場が爆発するかもしれないと思うと失敗することは許されないわけなので確実に、失敗しないように進められることが第一になることも理解できるなと思った。

義務教育や高等教育は卒業した人たちがミスの許されない場所で働くための訓練を積むための教育であって、個性が重んじられないというのは理解できるなと思った。高校までは個性を殺すように教育されて、大学になると急に個性を重んじる方向になる、どうして?というツイートをタイムラインで何度か見た気がするけど、高校まではこういった工場でミスなくオペレーションを回すことができる人材を育てるための場所というふうに考えると目的に合った教育だなと感じた。

私たちは機械にできることは機械がやる方が良いと固く信じている。けどこうやって工場を建てることで人間を雇用して地方のために貢献しているという様子を見ると、機械化を推し進めることはこの土地にとっていいことではないのだなと感じた。

失敗を恐れずに挑戦するべき、とか機械にできることは機械にやらせるべき、とか私が信じてる価値観はすごく狭い範囲でしか適用されないことなんだな、というのをもくもく立ち上る工場の廃棄を見ながら考えた。